留学同大阪ブログ

在日朝鮮人大学生・専門学校生の団体です。在日コリアン学生、歴史、文化、教養

本紹介③ 趙廷來 『太白山脈』

f:id:rhtosaka:20200505164757j:plain

 

 1948年10月から、1953年10月まで朝鮮戦争期の全羅南道筏橋(ポルギョ)を舞台とした小説。ノンフィクションであるが、ここに描かれているのは朝鮮戦争の歴史である。

 

 朝鮮戦争は革命戦争であった。それは北と南の対立、資本主義と社会主義の対立といった安易な構図ではなく、日本帝国主義からの解放、その残滓の清算親日派の排除)、そして日帝の残滓を利用し新たな侵略者として南朝鮮に君臨した米帝国主義との闘争であった。建国準備委員会から人民共和国の建設、共産党の運動、組織替え後の南朝鮮労働党の闘争は革命戦争の前史であり、1946年の大邱での大規模な人民蜂起から南労党のパルチザン闘争、済州島4・3蜂起、麗水・順天の反乱からの智異山パルチザン闘争はまさに朝鮮戦争そのものの歴史である。

 

 本書は、その歴史を生き生きとした人間の姿を通して描き、朝鮮戦争期を生きた朝鮮人の姿を迫力と情感をもって伝える。人民のために命をかけて闘う革命家の姿と、「日帝時代よりも悪くなった」と嘆きながらも闘えない民衆との関係、闘えない民衆のパルチザンに対する心情こそが最も学ぶべき内容だと思う。解放後も新たな支配者とそれに結託した旧親日派勢力によって搾取され踏みつけられる朝鮮民衆の視点、その視点からの日帝批判、米帝批判、親日派に対する嫌悪、パルチザンに対する支援はできないが心の中で応援する心情の表現こそがこの本の醍醐味である。

 

 400頁以上×10巻という膨大な量であるが、読みだすと止まらず一気に読んでしまった。分断の起源としての日帝、それを利用し新たな支配者として南朝鮮人民を踏みにじった米帝、処断されず米帝の手先として狡猾に生き残り民衆から財を搾りとる親日派勢力。それら反動勢力に対する敵愾心を改めて強くさせられた。

 

 そして、何よりも専任イルクンとして、「革命」とは何か?ということを考えらさせられ、自分の生き方をこの上なくストレートに問われた。

 

 紹介したいシーンは山ほどあるが、最後に最も心動かされ思想をえぐられた部分を一つだけ本文そのままあげたい。この本で、最も考えさせられた「歴史闘争」という言葉に関して。パルチザンが壊滅させられていく中、最後の作戦が伝達されるシーン。

 

 「同志諸君!よく聞いてください。我々の闘いは、今や現実闘争ではなく、歴史闘争の最中にあるということです。諸君、これまでの学習を通して、現実闘争が何であり、歴史闘争が何であるかはよく知っていると思います。つまり現実闘争とは、我々が生きている間に、我々の手で人民解放を成し遂げることであり、歴史闘争とは、人民を解放するために我々が命を捧げ、いつの日か、歴史の中で人民解放が成就されることです。諸君、歴史闘争とは、まさに命を捧げる死の闘いであります。我々の前にある闘いはただ一つ、我々より先に歴史闘争を繰り広げ、斃れていった多くの同志たちの後に続くことであります。諸君、我々よりひと足先に死んでいった同志たちは、我々のこの正義の闘いが、歴史の中で必ず勝利すると信じていました。また、人民解放は必ず成し遂げられるという不動の真理のために捧げた自分たちの命が、歴史の中で必ず甦ることを信じていました。そうです、我々もこのことを固く、固く信じなければなりません。歴史との闘いは長いのです。我々は、歴史の勝者であります。我々は、歴史の主人なのです。我々が流した血は、人民解放の花となって、歴史の上に燦然と咲きほこることでしょう。諸君、我々はこの二つとない真実を固く信じなければなりません。そうしてこそ、私たちより先に逝った多くの同志たちの死に報いることができるのです。人民解放の歴史は我々を呼んでいます。民族解放の歴史は我々を呼んでいます。この期に及んで、どうして死を恐れたりしましょう。最後の瞬間まで闘い、潔く死んでいくことが、もっとも堂々たる解放戦士の姿であります。そのような勇敢で誇らしい姿を、人民はいつまでも記憶に留めるのです。そして人民は、その精神を受け継ぎ、引き続き戦う力を得るのです。それでこそ人民解放を、我々の力で勝ち取ることができるのであります。それが人民解放の歴史であり、歴史の発展法則であり、不変の歴史の力です。」(第十巻 332-333頁)

 

 この後の部隊での最期の討論が、個人的に10冊の中での最高のシーンなので、是非読んでみてください。  (黄貴勲)