【自転車大阪街探訪 吹田~ 編】在日朝鮮人の歴史『大阪で闘った朝鮮戦争』の舞台
アンニョンハシムニカ!
吹田編です。
先週の金曜日。
降るか降らないか、降ったり降らなかったり。
でも自転車です。
千里中央~柴原~石橋~池田~川西能勢口~山本~中山寺~売布神社 あたり
赤ルートで行きました。
吹田を中心に。
東にJR、西に阪急が走る吹田ゾーン
JR吹田、岸辺、千里丘、
中に行くと駅からすごく遠い
しかし、山手になっていてすごく富裕層が多そうな街。
降りて行くと駅があるという地理です。
この辺り、道があちこち迷路みたいです。行きどまりに捕まりまくります。方向失います。
その線路のないど真ん中を名神高速が走ります。
大阪で闘った朝鮮戦争
朝鮮戦争期の吹田事件に思いを寄せながら自転車をこいでいました。
吹田事件のデモコースは、JR吹田駅から、岸辺駅や阪急正雀駅付近の操車場、そして北へグルっと箕面市や豊中市のほう、阪急宝塚線石橋駅のほうへ。
解放後5年間くらいの歴史、学校閉鎖令、教育闘争、と書籍などでも出てきますが、その後の記述は減るようなイメージです。
資料の問題やGHQと日本政府による弾圧の影響もあるでしょうが。
その当時は、阪急千里線の南千里、山田、北千里駅はなかったんですね。
南千里~北千里にかけては、まさに「ニュータウン」という雰囲気があります。
「高級住宅街」
さらに南千里の北側にいくと、津雲台や古江台なども高級住宅街っぽいですね。千里中央の北側も同様。ニュータウンができて以降に住むようになったんですかね。どういった人が住んでいるんでしょうか。
事業に成功した社長さん?
土地やビルなどの資産をたくさん持っている資産家さん?
大企業や公務員の重役さん?
中央からの天下りさん?
色々考えてしまいます。
総じて、吹田でも豊中でも箕面でも川西でも宝塚でも、高いところに住みたいのは人間の本能なのでしょうか。
見事に高い場所と低い場所で雰囲気が分かれます。
南千里や千里中央駅近くには団地が並びますが、その裏手や少し離れたあたりに大きな家が並ぶ地域が出てきます。千里中央公園の周りがすごかったです。桃山台や東豊中、少路といった豊中側も同様です。
私みたいな人間が高級住宅街を自転車で走ると何か意味不明な緊張感を感じます。
悪いことをしているような感覚に。
誰かに監視されているかのような錯覚に。
「スマートシティ」とかいって、そのうちそうなるかもしれないですね。
千里中央で用を済ませて、そこから176号線界隈をひたすら川西、宝塚方面へ。
大通りを避けて、柴原近くの春日町や宮内方面から。この辺りは下町っぽさが出てきて落ち着きます。
大阪大学を裏側からぐるっと回りました。
出身校ですが、広くてけっこう遠回りになって邪魔でした。
関係のない地域の人からすればなかなかウザいですね。大学。それだけの役割を果たせていますかね、阪大。個人的には感じませんでしたが。
「知性」が問われています。
街をぶらぶらするだけで、想像(妄想?)がふくらみます。
そこへ、具体的資料にもとづいた知識をプラスしたいですね。
座学も大事ですが、実際に足を運んで「考える」「想像する」ということも大事ですね。知識を獲得しながら、感性を磨いていきたいです。
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