朝鮮学校無償化裁判の意義と今後の課題⑦(追加雑感) -法律は重要であるが、ただの箱ー
アンニョンハシムニカ!
前回まで、「朝鮮学校無償化裁判の意義と今後の課題」というテーマで書いてきました。(というよりまとめてきました)
連載最後に、「法」とは何か? 雑感を。あくまで雑感です。
「法律とは、ただの見本箱」
これが私の見解です。
これは、法律が重要ではないということではありません。
重要です。箱があるということが重要です。
特に人権規定(法)、さらに「民族自決」原則など、「箱」を作るための闘争が人類にはあった(ある)と思います。
しかし、法律そのものは人民の権利と生活を守りません。
守るのは人民自らの力です。運動です。
資本の横暴をみるべきです。
司法=裁判所は、資本の根幹=資本主義国家の根幹部分に触れると、いきなり資本の守護者の姿を現します。
朝鮮学校高校無償化裁判では、これでもかというほど、その実態が露骨に出ました。
資本主義司法が「民族自決権」を認めることはない。
朝鮮学校の問題は、日本の近現代資本主義・帝国主義・そしてこれから退廃が必至となった日本経済の進む道にとって邪魔な存在。
植民地支配責任の追及、明治以降の日本の歴史を問いなおす存在。
ゆえに、立法、行政、司法、マスコミが朝鮮学校の教育内容に土足で踏みこみ、朝鮮学校のみに対してのみ露骨に介入・弾圧を行う。在日朝鮮人の歴史性・政治性を消そうとする。
人間を「個」にバラバラにし、孤立化させ、資本の都合の良いように作り変え搾取するという意図からに真っ向から反する側面が出てきます。
朝鮮学校の存在・その歴史と伝統が、継続する日本の植民地主義をまるまる映し出しています。
現在日本社会のメッキがはがれ、「戦後民主主義」の欺まんが曝された中、より明確にそれが明かされています。
ゆえに、これまで建前だけでも「人権」「多文化共生」「国際理解」を叫んできた社会(特に行政)が一気に後退し、司法が平気でヘイト文章を書けるようになってしまったということがいえると思います。
朝鮮学校無償化裁判判決は、日本の司法が、
・「日本の植民地支配責任・植民地主義を問い、近現代日本国家の根幹を問う以上、黙殺する。」
・「朝鮮人の言い分など聞くわけがない」
というメッセージを発し、
それはすなわち、日本の戦後民主主義の欺まんと、これからの日本国家の破滅的未来を暗示しています。
それに対して自分たちはどのように対峙するか。
同化させれらることなく。
思想・実践・運動が問われていると思います。