行政による「自粛要請」への違和感
緊急事態宣言、自粛要請、休業要請、外出自粛、…
どんどん進んでいますね。
「自粛要請、休業要請するなら生活補償しろ」
当然そうなりますよね。
弱者切り捨て、差別ばんばん、大企業優遇、弾圧ばんばん
そんな差別主義行政のトップから自粛要請されてもね。
「黙れ!」「そんなもん聞くかぁ!」と条件反射的に反発したくなります。
事態が事態なので、そんなことも言ってられず。
もちろん、未知のウィルスに対して、じっと生命を守ることを最優先にすべきだと思っています(けっこう自粛しています)。
しかし、収入がないとライフラインが断たれます。
飢え死にします。
そもそも不安定な雇用環境、仕事環境にいる人が増えている中。
セーフティネットで救われない人もいます。行政に拒否される場合も多々。
<水際作戦>とかいわれたりもしますね(気持ち悪い行政の策動)。
そもそも、その情報に接することができない人たちもいます。
日本の行政は見捨て、切り捨てが基本です(感覚的に)。
自分から情報を得て申請しないと動きません。申請してもいちゃもんつけて追返されるケースもあります。
(そのあたり、詳しくは、岩波新書『反貧困』を。かなりひどい例があります。)
そもそも、そのような行政、状況は新自由主義政策のたまものではないでしょうか。
構造改革、規制緩和、民営化、非正規化、派遣労働拡大、医療機関の統廃合、医療負担増、社会保障・社会福祉・公衆衛生・保健事業の軽視、……
「合理化」の名のもとに、自民党が推し進めてきた路線です。特に2000年代小泉政権以降。地方で先頭に立ったのは大阪維新の会です。
医療崩壊、物資不足、感染対策の遅れ、招いた半分の原因は新自由主義政策です。現権力が潰した・縮小したものです。
このことは、落ちついた後総括すべき問題です。
「吉村寝ろ!」とか、「スピーディ!」とか「カッパあげる!」とか言ってる場合じゃありません。自分で壊して手遅れ状態にしたので。自分であたふたスピーディなポーズだけ。
現場は混乱です。当然ですよね。
一度ぶっ潰されたものを「足りないから作れ」とか勝手に言われてるわけですから。 「お前らが壊したんやん!」
「社会」の崩壊がずっといわれてきました。人のつながりが断たれ、個人化・孤立化させられている。
地域コミュニティ、社会運動、労働組合、労働運動、つぶしたのは政府、行政です(大阪はめちゃくちゃ顕著)。
大企業優遇で、派遣労働者・非正規労働者は「自己責任」。貧困は「自己責任」。
そのうえ、こんな事態になれば、行政の要請を聞け。「何外出てるんだ」。
意味わからないですよね。貧困が自己責任で行政が何もしないんだったら、「外出るな」とかいう権限ないですよね。
「自己責任なので」で終了、黙れって感じですよね。
(もちろん、自己責任論に加担する気はありません。行政が責任もって生活保障しろという立場です。)
資本と為政者は、邪魔な(つまり力のある)中小企業・個人事業を潰して(または懐柔して)、大企業の賃労働者としてこき使う準備をしています。死なないけど立ち直れない最低限の補償だけをすると思います。
何も考えないと、気がつけば大企業の一人勝ち状態。独占の強化。そんなところでしょうか。
これを機会に、改めて「資本主義」について学ぶ必要があると考えています。
改めてですが、もちろん、わからない感染症を前にして生命を守ることが最優先だと思います。
しかし、個人の単位で考えるだけでは足りません。
「社会」というものを改めて考え直すべきだと思います。
もちろん、同胞社会の意義とともに。
新自由主義に対抗するような。切り捨て・排除・自己責任ではなく、協同・協働・共生を軸とした。
黄貴勲です。
本当は、【自転車大阪街探訪 尼崎編】を書こうと思っていたのですが、書いていると止まらなくなったので、次回ご期待を^^