【徒歩大阪街探訪 天六・長柄編】 在日朝鮮人の歴史、大阪大空襲の歴史
歩きです。
最近の勤務中の集中状態を分析した結果、14-15時台の集中力が極めて低くやる気が出ていないと判明し、ウォーキングを取り入れることにしました。
14:00~16:00の間の30~60分、休憩がてら好きな音楽を聴きながら仕事のことを考えずに歩く。
昨日はじめて行っただけですが。
2時間だらだら作業するなら、1時間リフレッシュに充てて1時間集中するほうを。
この上なくラフな格好で気を抜いて歩いているので、見かけても是非そっとしておいてください。もちろんもちろん気づけば挨拶はしますが。
天六です。
いつもは「東淀川」とか「高槻」とか、大きなくくりなのに急に小さな単位。
事務所がある関係上、徒歩の関係上ご容赦ください。
そのあたりの細い道を中心に歩きました。
浮田や本庄には車が通れないくらいの細い道がたくさんあり、住宅が並びます。
天満や天六の駅付近とは雰囲気がだいぶ違います。
ふとした場所に、気になる小さな雑貨屋さんやカフェ、飲食店などを見つけることもできます。
長柄は天六の駅のさらに北側、淀川に近づいた地域です。
雰囲気があります。長柄東には市営住宅が並びます。
東に大川が流れ、桜ノ宮や都島とのつながりを感じます。
大阪大空襲
大阪大空襲の際には、長柄橋付近で多くのかたが亡くなったそうです。
大阪市旭区の淀川堤防上には、「千人塚」が立っています。
大阪大空襲で亡くなり身元不明の遺体を供養したものです。
大阪大空襲に関しては、朝鮮人被害者の調査がなされていないということが提起され、強制連行真相調査団でも取りあげ証言収集や資料収集を行っています。
千人塚にも未だに身元が判明していない朝鮮人の遺骨があると思われます。
またあらためて書きたいと思います。
天満 ~ 天神橋筋六丁目あたりは、日本の敗戦後大きな闇市があったとのこと。
駅周辺にお店や職場が並び、その周りの地域に住んでいたということでしょうか。
在日朝鮮人の生活と仕事
中崎町駅から少し北にいくと、大韓民国民団の大阪本部があります。
ここは、解放前には協和会(在日朝鮮人を管理統制する団体)の大阪本部があり、解放後には在日本朝鮮人連盟の大阪本部がありました。
天六にも集住していた地区があったそうで。今も住んでいますが。
長柄のあたりも同様。
淀川での染色産業、中津の淀川沿いの工場、また解放直後は天満・天六付近での闇市など。
あまり資料には出てこないですが、在日朝鮮人の歴史です。
証言などをたどって、しっかりと残していきたいです。
歴史を掘り起こす。歴史から学ぶということがこれからますます求められると思います。
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