朝鮮学校無償化裁判の意義と今後の課題② 裁判で問われるべき本質的事項
前回の続き
朝鮮学校無償化裁判について
(11月21日、朝鮮統一支持 全国集会 講演会を参考に)
今回は、裁判で問われるべき本質的事項についてまとめたいと思います。
前回、高校無償化法の趣旨、またそれに沿った審査基準について強調しました。
「すべての意志ある若者が教育を受けられるよう」
「高等教育等における教育に係る経済的負担の軽減」
「外国人学校の指定については、外交上の配慮などにより判断すべきものではなく、教育上の観点から客観的に判断すべき」
これが、無償化法適用における大原則です。
結果、前回も書いたように、政治外交上の理由によって朝鮮学校を排除し、一部の意志ある若者を排除し、高等教育などにおける教育に係る経済的負担を強いたわけです。
日本政府は、自己破綻した論理で、笑えるくらい露骨な屁理屈で朝鮮学校を排除し、裁判所はそれを追認したということが現実なのです。
しかし、本来日本政府が問われるべきこと、歴史的政治的問題として、朝鮮学校、在日朝鮮人の問題を考える際に本質的に問われるべきことについて、11月21日の講演を手がかりに書きます。
高校無償化裁判で問われるべき本質的事項
加害の歴史に向き合うことにより、人間の尊厳や本質的平等という普遍的かつ最高の価値が明らかとなる。
また、在日朝鮮人の人権状況は、日本国家・社会の戦前の植民地支配と戦後の冷戦構造を利用した植民地主義政策の反映であり、「人間の尊厳の尊重確保と本質的平等」の現状、朝鮮半島の分断と固定の現状、恒久平和の実像を映し出す鏡である。
という姿勢のもと、
本質的事項の第一として
朝鮮学園が運営する朝鮮学校とそこで学ぶ子どもたちの存在は、日本国家による朝鮮半島全域への植民地支配という歴史的経緯を有し、朝鮮半島にルーツを持つ歴史的存在である。
本質的事項の第二として
本件訴訟は、朝鮮学校で学ぶ子どもたちの教育への権利に関わる裁判である。
つまり、民族教育の権利、普遍的人権の問題である。
本質的事項の第三として
高校無償化法の立法趣旨は「高等学校などにおける教育に係る経済的負担の軽減を図り、もって教育の機会均等に寄与すること」への認識
そして、法の構造(法ー省令ー規程による委任の範囲)に関する理解 の問題である。
本質的事項の第四として
第二次安倍政権が成立した前後において、同政権が朝鮮学校とそこで学ぶ生徒に対して、高校無償化制度から排除する意図をもって不指定処分に至ったということ。
本質的事項の第五として
本件処分によって、具体的な権利が侵害されたということ。
朝鮮学校で学ぶ子どもたちの等しく教育を受ける権利が侵害されたという事実。
母国語での普通教育と民族的・文化的アイデンティティをはぐくむ教育実践が侵害され、他の教育施設との差別が生起され、人種的憎悪による差別言動の誘因となった。
総じて、本処分は、歴史的・構造的な差別と植民地主義政策である。