【徒歩大阪街探訪 大阪市北区中崎あたり編】 大阪における在日朝鮮人の根拠地、協和会、朝聯、民団、
午後集中力切れる時間帯徒歩休憩探訪。
寝るよりも外に出てぼーっと歩きながら妄想にふけるほうが調子がいいです。
北西側、中崎西、本庄西、豊崎、中津方面をぶらりと歩きました。
細い道が多く、面白いです。
梅田方面に行くと、古い民家をリノベーションしておしゃれなカフェになっていり、美容院になっていたり。
こんなところに! というのがたくさん見つかります。
休日は人でいっぱいです。
本庄、豊崎と淀川に近づくと、雰囲気があります。
解放前後、朝鮮人の集住地区であったそうです。
中津から中崎町にかけて。
中崎町の北側、本庄から豊崎のあたりにかけてが多かったのではないかと推測されます。
中津には、淀川沿いに中規模の工場がたくさんあり(今もけっこうありますが)、そこで従事する朝鮮人が多かったそうです。
在日朝鮮人を管理統制する団体であった協和会の本部が中崎町にあり、解放後はそこが朝鮮人連盟の大阪本部になります。
なかなかエキサイティングな歴史です。
今は民団の大阪本部があります。建物も土地も超大きいです。
1949年、朝連の強制解散後、どういう経緯で民団の本部が建ったのでしょうか。
気になります。調べたいと思います。
中崎町駅からすぐ。細い道を北にいけばすぐに民団の本部があります。
その道をさらに北へ北へいくと、豊崎本庄小学校という地域の学校があります。
以前、聞きとりをした際、解放後その小学校の教室を借りて朝鮮学校として運営されていたと聞きました。
その後、学校閉鎖令によって閉鎖させられ、その後は朝鮮人連盟の本部の敷地で民族教育を行っていたそうです。
朝連の強制解散後、この地域の民族教育は無くなってしまったのでしょうか。
総聯の支部は北支部という形ででき、今は東淀川支部の分会という形で残っています。
留学同では、昨年、大阪市北区の在日朝鮮人の歴史について論文にまとめました。
未熟ではありますが、地域の同胞の歴史について、在日朝鮮人の歴史について資料・情報を少しでも残さなければならないという問題意識で取りくみました。
ブログのこの企画も、その経験からきています。
どこかに何かしらの形で足跡を残したい。
明確な根拠のないものであったとしても、何となくのものであったとしても、何かヒントとなるようなものをこれからも発信していきます。
*上の研究誌、事務所にたくさん余っています。
一冊 500円で販売しておりますので、是非一度手にとってご批判・ご指導いただければと思います。 郵送でもうけたまわります。(黄貴勲)
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