留学同大阪 おススメ学習書籍紹介①

アンニョンハシムニカ!

留学同大阪では、新入生歓迎会シーズンが終わり、夏の行事向けて活動しています。

支部や本部での学習会も本格化していくので、ここで、留学同大阪おススメ学習書籍を5冊紹介します。

 

① 「記憶の火葬 ― 在日を生きる 今はかつての“戦前”の地で」

(黄英治著 影書房 2007)

 かつての宗主国・日本の地で、旧植民地人である朝鮮人が生きるとはどういうことか―在日一世の父の死に臨み、その苦難の半生に思いを重ねつつ自己の存在をみつめた「労働者文学賞」受賞の表題作のほか、日本社会に根を張り続ける民族差別の実態をリアルな生活実感から問う論考、エッセイ、書評を収録する。(「BOOK」データベースより 以下同様)

 

② 「誰にも故郷はあるものだ ―在日朝鮮人と私―」 (徐勝著 社会評論社 2008)

 分断され踏みひしゃげられた朝鮮半島、不当に奪われた大地、いつかは取り戻し、撫でさすり治癒せねばならないところ。それが、「奪われた者」としての著者の故郷なのだ。だから、在日同胞にとっていまも故郷は朝鮮半島なのだ。

 

③ 「在日朝鮮人の歴史と文化」(朴鐘鳴編著 明石書店 2006)

 日本で生まれ、育ち、暮らす在日朝鮮人の歴史、社会、文化について、日朝の交流史を概観した上で、その社会形成、法的地位、社会的諸問題、民族教育等のテーマを今日の視点から検証する。ロングセラー『在日朝鮮人〔第2版〕』を全面的に書き改めた決定版。

 

④ 「獄中19年 ―韓国政治犯のたたかい―」(徐勝著 岩波新書 1994)

 一九七一年,祖国に留学していた在日韓国人の著者は,「北のスパイ」として突然逮捕される.執拗に続けられる拷問,屈するよりは死を願い負った火傷,そして死刑判決…….新書『徐兄弟 獄中からの手紙』で知られる著者が,監獄という社会を克明に描きつつ,独裁政権への痛烈な批判,そして分断下にある民衆への深い愛情を文字に刻む.

 

⑤ 「フェミニズムはみんなのもの ―情熱の政治学―」 (ベル・フックス著 新水社 2003)

フェミニズムが目指すのは、支配をなくし、自由にあるがままの自分になり、正義を愛し、平和な人生を生きられるように人々を解き放つことである。ブラック・フェミニストの著者が、フェミニズムの理想や政治について説く。

 

梅雨の時期~夏の暑い時期に入っていきますが、4月27日に第3回南北首脳会談、5月26日に第4回南北首脳会談が開かれ、そして6月12日の朝米会談に予定されている激動の情勢の中、改めてじっくりと学ぶことが重要だと思います。

 

自戒も込めて、これからもたくさん学びたくさん発信していきます。

(黄貴勲)

朝鮮学校補助金裁判 大阪高裁判決について② 雑感

2018年3月20日に出された、朝鮮学校補助金裁判の大阪高裁の判決について再び書きます。判決の場面、報告集会、また裁判当事者に話を聞いた限りでの判決の印象として。

 

結論ありきで行政を救済することだけを目的書かれた判決。ちぐはぐな論理が散見される、しょうもないやっつけ判決。「よくここまで書けたな」という判決。朝鮮人をこれでもかと蔑視し、朝鮮人の権利などゴミくずだと思っている、植民地統治機構の役人のような裁判官が書いた判決。

 

集会のアピールでも多く言及されていた通り、在日朝鮮人の歴史性やそれにもつづいた権利を無視し、存在自体を否定するものだったといえる。日本の裁判所に、良心などない。正義などない。そのような思想・信念をもった人間などいないということがわかった。

 

日本において、「法律による行政」などという原則は幻想。

憲法、国際人権法などあってないようなもの。植民地主義国日本による暴力が在日朝鮮人にどれほどの傷を与えているか。どれほど大きな罪、悪行を積み重ねているか。それが司法でも現れた。

 

法律は一つの重要な武器である。しかし、植民地主義国の植民地主義司法が、在日朝鮮人に対して権利を保障するはずがないということが改めて明らかになった。日本の司法などに頼り法廷闘争のみで自分たちの権利を勝ち取ることなど夢にすぎないということが証明された。

こんな日本の司法でさえも認めるよう、認めさせるよう民衆の力によって闘争することが必要だと思います。

 

特にこの朝鮮半島の平和と統一に向けて大きな変化があらわれている現在、何よりも自分たちが自分たちの力でウリハッキョを守り、より良いものに発展させること。真理と勝利に対する信念をもって、もっともっと多くの人を巻き込み、普遍的価値をもつ民族教育の意義を広げていくことが重要だと思います。

(黄貴勲)

朝鮮学校補助金裁判 大阪高裁判決について①

3月20日に出された、朝鮮学校補助金裁判大阪高裁の判決について書きます。

判決の瞬間、また関連ニュースや記事に触れるたび、今でも不当で醜悪で非人間的な判決に怒りが沸き上がりますが、主な争点について整理します。

 

一審(大阪地裁判決)は、事実から逃げた不当判決

二審(大阪高裁判決)は、原告の主張全ての面において、これでもかと否定した、悪質な判決。 

というのが代理人弁護士の方々の見解でした。

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裁判の主要な争点 に関して

(報告集会の内容をもとに)

1、補助金は、教育の権利、学ぶ権利に基づいて支給されているのではないのか?

・判決:

あくまでも補助金=贈与。権利ではない。学習権の保障とは関係ない。

権利侵害の問題かどうかではない。

つまり、「朝鮮学校には民族教育の権利などない。 」ということを断言。

 

2.一審判決において、補助金は対象学校が「一条校に準ずる」から出すという趣旨が入っていたが、そもそも創設時、そういった趣旨ではなかったのではないか?

 ・判決:

 一審のようにみることが「自然」。「一条校に準ずる」要件を認定。

 外国人学校の成り立ちや自主性を否定。

 

3.府知事の発言、府議会での発言などから、朝鮮学校への狙い撃ちではないのか?

 ・判決: 知事がそう言っていようが、狙い撃ちではない。

 

4.公安調査庁の文章に載っていることを判断理由してよいのか?

 ・判決: 合理的な判断といえる。。

 

5.子どもたちの権利、学ぶ環境の重要性

 ・判決: 触れていない。無視。

 

争点に関連して、もう少し詳しく。

阪高裁第9民事部(裁判長 松田亨、裁判官 桧皮高弘、高橋綾子)

一条校に準ずることを前提として本件補助金が創設されたとみるのが自然」

「長期間交付されていたとしても事実上のもの」である

「権利性の認められない補助金の支給要件について、公共性の見地から一定の教育内容や政治的中立性を支給要件に組み入れることは何ら不合理なところはない」

要件を付けること自体の問題性は無視し、「要件に該当しないことを理由とする」と結論

 

・国際人権法について

社会権規約の平等違反  政治的責任であり権利ではない

納税していることは、補助金の制度とは関係がない

後退禁止原則  政治的責任であり権利ではない

人種差別撤廃条約  政治的責任

子どもの権利条約  補助金の権利をただちに基礎づけない

教育基本法第16条違反について

→ 一般的な遵守を求めているものではない。裁量の範囲内。

 

私立学校法1条違反、教育基本法14条違反について

→ 一定は範囲の政治的中立性を要求することは合理的と判断

 

・「要綱改正に係る裁量の逸脱・濫用」について

一条校に準ずるから助成するということは合理的

 

私立学校法等の規制を超えていても、「あくまで補助金の交付要件にすぎず」

私立学校振興助成法の規制を超えていても、「大阪府補助金の支給要件を定める裁量権を制限、禁止するものとはいえない」

 

・狙い撃ちではないか?という主張に対して

朝鮮学校だけに設定された特別の要件とみることはできない

 

専修学校交付要綱には同様の規程がないことについて

専修学校についても一般条項を適用する。平等違反に違反しない

  

公安調査庁の文書について

調査結果自体を利用するものではないから、目的外使用に当たらない

調査の対象となることについて告知聴聞の機会がないとしても、意見を述べたり資料を提出したりすることは可能

 公安調査庁は国家機関であり、一定の調査分析能力を備えていると考えられる。

調査対象とされること自体で悪質性を意味しないとしても、関係を要件として考慮することは不相当とは言えないことは前期のとおり

 

・支給法との違い

補助金は支給の根拠法令がなく、この点では支給法=無償化法とは性質を異にする

 

大阪市補助金について

 

一審、控訴審ともに、

「府の補助金を補完するものといってもおかしくはない」「独自に動いていたわけではない」

 

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判決は全体として、

朝鮮学校補助金受給は、権利ではなく贈与である。

朝鮮学校在日朝鮮人の民族教育に権利などない。

・行政が決めた要件を全て守ったうえでのみ認められる恩恵である。

外国人学校の「自主性」など、行政によって無限に制限される。

・国際人権法など努力目標であって守る義務はない。

 

つまり、「お前らに自主的な権利などない。」「権利がほしければ日本の学校に行け、もしくは日本の権力に従順な教育をしろ。」といったところだろうか。

阪高裁第9民事部(裁判長 松田亨、裁判官 桧皮高弘、高橋綾子)は、「人権」「権利」の意味も知らず、「法の精神」もなく、法の適用・運用・解釈・遵守の仕方も知らない、ただただ権力に従順な「行政官」であった。さすが日本の司法といったところでしょうか。

 

裁判官が行政権力にへつらい、法を無視する姿勢である以上、権利闘争は政治闘争化するしかないということを改めて感じました。

(黄貴勲)

高校「無償化」裁判、大阪高裁第二回弁論期日について

2月14日、無償化裁判(大阪)の控訴審、第二回弁論期日がありました。

第一審(地裁)にて、裁判所が国側の主張をはっきりと斥け、朝鮮学園側が勝利したので、原告(朝鮮学園)側としては、第一審の判決をそのまま踏襲するよう、早く結審し判決に向かうように、主張を固めています。

地裁の判決については以前の記事を参照。

高校「無償化」裁判についての学習会 ~広島、大阪、東京の判決の比較~① - 留学同大阪ブログ

朝鮮学校高校「無償化」裁判についての学習会 ~広島、大阪、東京の判決の比較~② - 留学同大阪ブログ

また、裁判の経緯などのより多くの情報は「無償化連絡会・大阪」のページより

http://renrakukai-o.net/

 

 

 国側は、地裁での主張に新たな主張を加えようとしていますが、強く反論すべきような点は無いようです。

国側は、教育基本法の趣旨や目的から、朝鮮学校がそれに沿わないという主張を展開してきたのですが、そもそも「我々国民は…」からはじまり、「日本国民の育成」や「国家の発展」などといったことが明記されている教育基本法が外国人の教育や外国人学校、民族教育を想定していないことは明らかであり、その体系を持ち込むこと自体が極めておかしいことであるといえます。

その主張だと、日本の教育基本法自体の持つ問題が表出し、日本の教育全体への国家の介入がどんどん進む(現実に進んでいる)ことを許すことになります。そもそも教育基本法の持つ問題、さらに改悪されドンドン日本の教育現場が権力に支配されている中で、この裁判が持つ大きな意味を再確認しました。

 

さらには、一審で出してきた「不当な支配」を越えて、朝鮮総聯を指し「反社会団体」という表現にまでなっているそうです。

 

そもそも、高校無償化法の趣旨・目的から判断するだけの問題を、より大きく関係のない法体系・法理論を展開しながら朝鮮や朝鮮総聯に対する憎悪表現を重ねる国側の卑劣で醜悪な主張に接するたびに吐き気がします。

 

地裁での判決については、「法学セミナー」という雑誌に判決の分析が載っています。その中でも大阪判決が妥当というのが識者の見解として出されています。

(図書館や大型の書店などで見れると思います。)

 

「法学セミナー」2018年1月号

行政法/山下竜一
朝鮮学校無償化訴訟(大阪地裁判決)
[大阪地判平29・7・28 LEX/DB文献番号25448879)]

 

「法学セミナー」2018年2月号

[特別企画1]高校授業料無償化裁判——朝鮮学校の除外
司法は行政による差別を追認するのか……李 春熙
——「朝鮮高校無償化訴訟」の現状 

高校授業料無償化法の立法経緯と朝鮮学校除外問題……石井拓児
朝鮮高校就学支援金不指定事件を考える……中川 律
——3つの地裁判決を素材に

 

さらに、国側も大した主張も追加もない中、裁判官主導で裁判が長引いているということも指摘され、裁判官が権力を恐れて判決を書けず、国側におもねっている姿も感じられました。

朝鮮学校の無償化裁判、補助金裁判をずっと傍聴してきたうえで、裁判所がいかに国家権力の顔色を窺って、権力側からどれほど脅迫を受けているかをヒシヒシと感じ、「三権分立」の中身の空虚さを肌で感じます。

 

次回の期日(判決でない)は、4月27日(金)の15:00~です。名古屋での地裁判決を同日です。

その前に、3月20日(火)には、大阪での補助金裁判の高裁判決があります。

(さらに、同日18:30~ 報告集会も東成区民センターにて)

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本紹介「褐色の世界史 -第三世界とはなにか」①

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留学同大阪、本部の学習会の題材として、

『褐色の世界史 -第三世界とはなにか』という書籍を取り上げました。

この本が、本当に興味深く、タイトルの通り、教科書的な世界史では学べない、または無視されているアジア・アフリカ・中南米の歴史に触れることができます。

 

序文が

第三世界は今日、一つの大きな塊としてヨーロッパに対峙している。そのプロジェクトとは、ヨーロッパがこれまで答えを見つけられずにいる問題を解決しようとすることであるはずだ。」というフランツ・ファノンの言葉の引用から始まり、

第三世界とは場所ではない。プロジェクトである。植民地主義に対する果てしなくも見えた闘いの中で、アジア、アフリカ、ラテンアメリカの人びとは、新しい夢を見た。」と続く。

 

第三世界の国々が、何よりも尊厳を求め、土地、自由、平和を求めた運動の歴史に驚かされます。

 

植民地主義闘争の中での連帯・団結。自国において支配者との闘いを通じて、また不公正な国際社会に対して、社会正義・人民のための社会システムを求める運動の歴史。

また、逆に、そうした連帯や団結を崩そうとし、旧勢力を結託して政権や新たな社会システムを崩壊させようとし、実際に軍事介入や経済侵略によって数々の犯罪を犯してきた米国を中心とした帝国主義勢力の歴史。

 

それは過去の話ではなく、現在も形を変えながら続いているといえる。2000年代以降でも、アフガニスタンで、イラクで、リビアで、シリアで、アメリカと追従勢力が何を行い、それに対してどのような抵抗闘争があるのか。第三世界の歴史から学ぶことは多いはず。

そして、何よりも朝鮮半島の歴史と情勢を観るうえで貴重な視座を与えてくれる一冊だと思います。

 

第一部の章立てが、パリ、ブリュッセル、バンドン、カイロ、ブエノスアイレステヘランベオグラードハバナと都市の名前で構成されており、植民地からの独立を求める闘争から、「第三世界」の形成、国連を中心の舞台とした国際社会での連帯と、ダイナミックな運動が展開される様子を学ぶことができます。

 

 

日本語文献でなかなか学ぶことのできないものだと思います。

日本において、第三世界について、アジア、アフリカ、中南米の歴史や思想について、もっともっと研究がなされるべきなはずが、軽視されていると思います。それは同時に朝鮮についても言えるでしょう。

私が大学・大学院で学んだ国際法の領域ではそれが本当に顕著に現れています。

 

そういった意味でも、是非とも本書を一度手にとって読んでみてください。

次回以降の更新で内容に言及していこうと思います。

(黄貴勲)