朝鮮学校補助金裁判 大阪高裁判決について② 雑感

2018年3月20日に出された、朝鮮学校補助金裁判の大阪高裁の判決について再び書きます。判決の場面、報告集会、また裁判当事者に話を聞いた限りでの判決の印象として。

 

結論ありきで行政を救済することだけを目的書かれた判決。ちぐはぐな論理が散見される、しょうもないやっつけ判決。「よくここまで書けたな」という判決。朝鮮人をこれでもかと蔑視し、朝鮮人の権利などゴミくずだと思っている、植民地統治機構の役人のような裁判官が書いた判決。

 

集会のアピールでも多く言及されていた通り、在日朝鮮人の歴史性やそれにもつづいた権利を無視し、存在自体を否定するものだったといえる。日本の裁判所に、良心などない。正義などない。そのような思想・信念をもった人間などいないということがわかった。

 

日本において、「法律による行政」などという原則は幻想。

憲法、国際人権法などあってないようなもの。植民地主義国日本による暴力が在日朝鮮人にどれほどの傷を与えているか。どれほど大きな罪、悪行を積み重ねているか。それが司法でも現れた。

 

法律は一つの重要な武器である。しかし、植民地主義国の植民地主義司法が、在日朝鮮人に対して権利を保障するはずがないということが改めて明らかになった。日本の司法などに頼り法廷闘争のみで自分たちの権利を勝ち取ることなど夢にすぎないということが証明された。

こんな日本の司法でさえも認めるよう、認めさせるよう民衆の力によって闘争することが必要だと思います。

 

特にこの朝鮮半島の平和と統一に向けて大きな変化があらわれている現在、何よりも自分たちが自分たちの力でウリハッキョを守り、より良いものに発展させること。真理と勝利に対する信念をもって、もっともっと多くの人を巻き込み、普遍的価値をもつ民族教育の意義を広げていくことが重要だと思います。

(黄貴勲)