民族教育を守る闘い

2010年度に高校無償化制度が施行されてから6年以上過ぎ、7年目も終わろうとしている。

改めて、この間の動きや運動について学ぶ機会がありました。

大阪での無償化適用を求める裁判と、補助金の支給を求める裁判の原告である、大阪朝鮮学園の理事長の話を聞きました。

 

大阪では、

補助金不交付処分取消を求める裁判(補助金裁判)は2012年9月20日提訴、

高校無償化適用を求める裁判(無償化裁判)は、2013年1月24日に提訴。

これまで、補助金裁判は、20回の口頭弁論が行われ、

無償化裁判は、途中に進行協議(当事者双方のみの協議)を入れながら、15回の口頭弁論が行われました。

証拠調べ期日として、証人尋問も行われ、原告側(朝鮮学園側)は研究者、保護者、卒業生、教員(または元教員)、学園理事長が証言台に立ち、被告側は補助金裁判において当時の大阪府大阪市の担当者が立ちました。

 

どちらの裁判でも、国や大阪府大阪市側には「植民地支配責任」や「人権」などという観点は一切なく、政治的・外交的理由をもって朝鮮学校を潰そうとしているということがはっきりと見えています。

そのために、朝鮮総連との関係や朝鮮民主主義人民共和国との関係を問題視し、「不当な支配」という、他の外国人学校や私立学校とも整合性のとれない、理由にもならない理由を持ち出し、証人尋問では傍聴席で笑いのおこるようなくだらない質問を根掘り葉掘り聞くという始末です。

 

国際人権条約上の義務でもある、全ての子どもの学ぶ権利の保障を目指して実施された高校無償化制度が、一部のマイノリティを除外し差別するという結果になっている現状。

 

高校無償化制度実施から7年度目、そもそも差別的であると指摘されていた補助金も停止され、どの学校現場も極めて困難な状況にあることなど、胸の痛い話を聞き、活動の意義を再確認させられました。

 

さらに、この裁判だけを見ても、4年以上かけて行われており、これからも続くことが予想される中、自分たちに何ができるのかを考え、具体的に実践していく必要があると思います。

 

そもそも、植民地支配責任としても、憲法上・国際人権法上も、当たり前の権利として保障されるべき民族教育の権利が全く保障されないまま、自分たちの力で創り発展させてきた歴史に学び、同時にこの不当な現状を徹底的に批判しながら、留学同でも活動を続けていきたく思います。

 

次回期日

補助金裁判 2017年1月26日(木)13:30 判決!!

無償化裁判 2017年2月15日(水)15:00 結審(その次が判決)

9月の学習会③ 世界の歴史 -大航海時代

学習の9月。

大航海時代から、帝国主義形成までを学びました。

 

大航海時代とは、15~16世紀にかけて、ヨーロッパ諸国による新航路や「新大陸」の発見の時代を指します。

長い歴史の中で、「近代」への移行の出発点といえるでしょう。

始まりは、ポルトガルとスペインから。両国の覇権争いの時期でもありました。

 

大航海時代の要因として

①ヨーロッパにおけるアジア知識の拡大

②遠洋航海術の発達

③香辛料需要の増大

レコンキスタ(キリスト教徒によるイスラームに対する国土回復運動)の完成

があげられます。

 

インド航路、アメリカ大陸への到達と、続き、その結果、ヨーロッパにおいて商業革命ともいうべき変化をもたらします。

 

大航海時代は、日本学校での中学・高校の世界史の授業などでは、大きな変化の時代として重要視され、「面白い」時代という印象さえあります。

 

しかし、大航海時代以降、ヨーロッパにおけるイスラムの排斥、アフリカ人の奴隷化、アメリカ大陸侵略(先住民大虐殺)、アジア侵略航路の確保、三角貿易という略奪的貿易構造という今日の世界情勢に密接につながる巨大な暴力的事象が噴出しました。

 

ヨーロッパ内の競争や勢力争いを中心に描かれ、より大切なものが抹消されていく。

(むしろ、ヨーロッパは略奪構造を作るうえでは協力的な関係にあった。)

それは、後の日本による朝鮮植民地支配という暴力の歴史を消そうとする動きと連動していることでしょう。

 

例えば、世界史の中で偉人視される「常識破りの冒険家」コロンブスは、アメリカ先住民の立場からすれば、自分たちを大虐殺したヨーロッパ人の象徴といえるでしょう。

 

今日においても、軍事的・経済的な支配/被支配の現状があり、被支配地域から奴隷制奴隷貿易についての追及があり、黒人に対する差別や暴力があり、決して遠い昔の歴史として片づけられない問題です。

自分たちがどのような世界・社会を志向するのかが問われる、極めて現在的な問題といえるでしょう。

(黄貴勲)

9月の学習会② 世界史を見る

学習の9月、第二弾テーマは、「世界史」。

 

筆者が高校時代に習った世界史といえば(2年間わりと真剣に学びました。)、

今から考えれば、大国中心、欧米中心で、ひたすら暗記の求められるだけのものでした。

 

アフリカの歴史、中南米の歴史、また朝鮮の歴史などはほとんど印象になく、

「試験に出ない」という理由でほとんど飛ばされていたと思います(そもそも教科書の記述も極めて少ない)。

特に、アフリカ・中南米の歴史と言えば、「スペインが支配した」とか、「イギリスが支配した」とか、「フランスが支配した」とか、「アメリカの裏庭」とか、欧米中心に説明されていました。

まるで、固有の歴史や文化を持たないかのように。

アフリカに関しては、「暗黒大陸」とか「暗黒時代」なんて表現も覚えた記憶があります。そんな表現ができてしまう腐った感性で教育がなされている現状。

 

今から考えると、本当にくだらない歴史の授業でした。

ただただ点数を取るためにひたすらヨーロッパの歴史を覚えていた時間を、朝鮮や他のアジア・アフリカ・中南米の植民地解放闘争の歴史を学ぶことに回したかった。

そこには、歴史を学ばない、歴史から学ばせない権力の意図があることでしょう。

歴史というもの自体が、ドンドンと俗化・無用化されているように思えます。

 

もっと見るべき歴史があるということに気付いたのは、留学同活動の中で、いきいきとした朝鮮史を学んでからでした。

 

留学同大阪では、そのようなくだらない支配の歴史ではなく、奴隷制帝国主義・植民地支配に対して、民衆がどのように対したのか、そして抵抗したのかという点に注目し、いきいきとした民衆の歴史を学べるような場を作りたいと思います。

 

「戦後日本の教育の枠組みの中で自己形成してきた私が、高校までに教わった朝鮮史の知識は、まったく乏しいものだった。…中略… 断片的なくせに、弱弱しく、ものがなしく、独自の個性や学ぶ価値のある文化をもたず、たえず強国に突き動かされており、同乗の対象とはなりえても、敬愛の対象とはなりにくいようなものだった。 

…中略… そこに、過去も現在も、朝鮮史の真の姿が国民に見えることを不都合とする日本の支配権力の意図が働いており、そのような意図から作られた歴史観が国民によって自覚的・無自覚的に再生産されてきた結果であると、気づかされてきた。 

…中略… はっきりといえることだが、朝鮮史はそのようなものとはちがう。朝鮮民族には、中国とも日本とも異なる独自の文化伝統があり、しばしば容易ならぬ外圧にふれながらも貫かれてきた力強い社会発展史がある。そして、その発展を基底で支えてきたのは、単なる英雄的指導者の力ではなく、ユニークな個性と活気に充ちた人間性をもって日々を生き続けてきた朝鮮民衆総体である。」

梶村秀樹朝鮮史講談社現代新書 より)

(黄貴勲)

9月の学習会① 思想・哲学について

9月初旬、思想・哲学について学習しました。

唯物論と観念論、弁証法形而上学、資本主義、帝国主義社会主義……

 

難しく難しい言葉が並び、理解するのに一苦労でしたが、逆に普段いかにそういった勉強をしていないかを痛感しました。

 

「安定した生活をするためには何の勉強をすればよいか?」「どの資格をとればよいか?」「どの業界が良いか?」…

そのように「お金になる」とか、「就職に有利」とか、もしくはひたすら「わかりやすさ」だけを押し出した勉強に流されがちな中。

 

思想・哲学を学ぶ意義はどこになるのか?

講師の先生がおっしゃっていた言葉が印象に残っています。

 

「元来、思想というのは抽象的な理論を機械的に覚えこむことによって形成されるものではなく、理論が現実と結びつく局面においてつくりだされる実践的思考の体系だと思う。それは、もちろん、断片的な心情や慣習的な生活意識とも違って。」

 

実践的思考の体系。自らの現実認識と行動の軸とすべきものであると思います。

 

日常に流され、主体性を失い、社会によって作られ、強大な権力の言いなりの奴隷となる。 「忙しいから仕方がない」とか、「現実は厳しい」とか、さらには「気の持ちようだ」とか、「それでも幸せだ」とか、目標も信念もなく消費するだけの生活。

それが今の日本社会の流れだとひしひしと感じています。

 

本来、学ぶことは、いきいきとした思想を形成し、人間らしく、自由かつ創造的に生きるために必要なものではないでしょうか。

改めて、日々「学習」しなければならないと感じました。

(黄貴勲)

【ウリ民族フォーラム2016 IN OSAKA】

明後日、9月11日(日)に

大阪朝鮮高級学校にて、

【ウリ民族フォーラム2016 IN OSAKA】

 

「1万人の大祝典」という大きな目標をかかげて、準備してきました。

第一部 フォーラム(10:00開演)

第二部 大祝典(総合文化公演、特別ステージ、大野遊会)

という内容はもちろんですが、同胞がこれだけ多く集まる場の大切さを今一度確認していただければと思います。

 

朝鮮学校や同胞コミュニティに近い所で育った人にとっては、それほど特別に感じないかもしれませんが、そうした場を経験したことのない人にとっては、これだけの同胞が集まっている姿を見るだけで驚愕し感動するはずです。

 

自分の家族と親族以外の同胞が存在するということも知らなかったという同胞が、留学同で出会った同胞学生の中にも多くいます。

朝鮮学校の存在をほとんど知らなかったという学生もいます。

 

行事を宣伝していると、「またそんなんするんか」「何の意味があるんや」という声がありました。

しかし、こんな場は、全ての朝鮮人が自分の存在を否定せず確認するために、朝鮮人として生きていく力を得るために絶対に必要なのです。

朝鮮人であることで、孤独感と無力感を感じて生きてきた同胞が、こんなに同胞がいるのかということを直接自分の目で確認するだけで、どれほど力を得ることでしょうか。

 

もちろん、集まって何もせず終わってはいけないですが、まず何よりも人が集まることから始まると思います。参加するだけでも、参加することにまず第一の意味があります。

 

守勢から攻勢へという意味の「ターンオーバー」というキーワードで、在日朝鮮人運動に対する提言をされる第一部フォーラムから、総合文化公演、特別ステージ、食いだおれ食堂、キッズパーク、キャラクターショー、福祉・休憩コーナーなど、

誰が来ても学べる、楽しめる場になっていると思います。

是非とも、日曜日は、大阪朝高にてお会いしましょう。

(黄貴勲)

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