朝鮮人強制連行調査の記録 大阪編② 強制連行とは?
「強制連行」とは何か?
多く論じられてきたものだと思いますが、改めて確認の意味でも、この問いから始めたいと思います。
『朝鮮人強制連行調査の記録 大阪編』
『朝鮮人強制連行調査の記録 大阪編 続』
から考えたいと思います。
柏書房の書籍が本当に貴重な資料満載で手元に一冊置いておくべき研究資料だと思いますが、『続編』もすごく重要で興味深い資料、証言、論文が収録されています。
何度も読み返すべきものだと思います。
さらに後世に残すためにも更新していけるように研究を続けなければと読み返すたびに思います。
「強制連行」とは?
本人の自由意思に反した、肉体的・精神的強制による連行形態をいう。
民間業者による詐欺・甘言・拉致、官憲による強要・脅迫なども含む。
「強制労働」とは?
労働の強制的実体をいう。
ILO(国際労働機関)の「強制労働に関する条約」(日本は1932年に批准)によれば、「処罰の脅威の下に強要」され、「自らすすんで」望んだわけではない「一切の労務」を「強制労働」と呼んでいる。(第二条)
多くの証言から考えても、わずかに残っている公文書から考えても、日本が朝鮮人を強制連行し、強制労働させたことは明白です。
そして、それが国際条約違反であることも明白に決着のついていることです。
「募集」「官斡旋」「徴用」
強制連行は、一般的に1939年の「募集」形式以来のことを指して使われます。
「募集」
1939年~1942年
朝鮮総督府が指定した地域で人数を割り当て、その割り当てを受けた会社が「募集」を行う。 面(村)事務所の官吏や警察がこれに協力し、多くの場合、断ることの不可能な実質的強制となった。
「官斡旋」
1942年~
閣議決定により、朝鮮総督府管轄下の朝鮮労務協会が直接人を集める。官(政府)による直接の強制が開始。
「徴用」
1944年~
「国民徴用令」を朝鮮でも発令。個人を特定した文字通りの強制。朝鮮では露骨な「人狩り」の形をとることになる。
「募集」の段階から、あからさまな強要、強制があったことがわかっています。
*1939年以降のことを強制連行を指すことには全く異論がありませんが、それ以前にも拒否の余地のないあからさまな強制があったということも確かです。
また、あからさまな強制のみでなく、そもそも日本帝国主義による侵略、支配によって、生活基盤を破壊され、生きるための糧を奪われて故郷を離れ底辺労働者として日本や中国に渡らざるを得なかった人たちが多数いたということも注視すべきです。
それは、植民地支配下のみならず、解放後(戦後)の日本の資本がアジアで行った経済収奪とそれに起因するアジアの労働者の渡日とも無関係ではありません。
過去をどのように見るか、だけでなく現在に継続する思想や文脈をとらえる必要があると思います。
このシリーズ、書き足りないことがまだまだあるので、ドシドシ続きます。