『嫌われる勇気』 色んな人が紹介、称賛しまくる名著を批判してみるコーナー
本紹介、
「嫌われる勇気」です。
数年前に、大流行しました。
今も売れ続けているようで。
概要としては、
心理学の三大巨頭の一人であるアドラーに関する本。
キーワードはタイトルの通り「勇気」ですね。
一言で「勇気をもって生きよう。」そういう本ですね。
「幸せになる勇気」という本も出されています。
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以下、大まかな内容に関してまとめます。
書かれている順番通りではありませんが。
「課題の分離」
すべての悩みは対人関係からくるという問題意識のもと。
誰の課題か?
自分の課題でないもののことを考えるな。
ということですね。
「幸福とは?」
幸福とは、他者に貢献することである。
現在のこと、これからどうするかを考えよう。今に集中する。
このあたりは「幸福論」ですね。面白いです。
特に、自分の意識、認識、思想を点検するうえで。
議論をまき起こすほどガッツリ言い切る点。
アドラーの主張に対して自分をどのように見つめなおすか、もしくは批判するか。
「目的論」
特に、はじめの「目的論」、面白いです。
この部分を取りあげたいと思います。
「人間は原因があって行動するのではなく、目的があって行動する。」
目的のために感情を捏造している(このあたりは下記に解説)。
「トラウマ」に対して本書はそのように指摘します。
特に、「負の感情」について。怒りや悲しみ。「トラウマ」。
フロイトの心理学に対する批判にもなってると思います。「原因論」「トラウマ」
「自分のアイデンティティは自分で作る」。
しかし、サルトルの実存主義は、構造主義によるかなり鋭い批判が入ります。
アドラーに対しても同様に言えそうですね。
ここから批判、
目的のために感情を捏造。
トラウマ、怒り、劣等感のような負の感情を道具として利用しているだけ。
と、アドラーは言います。
例として、
・引きこもりの例、
・ファミレスでコーヒーをこぼされる例、
あげられています。
しかし、2つの例の並列はおかしくないですか?
①は、恐怖
つまり、また同じ被害に遭うという現実がある
②にはそれが極めて低い
民族差別や性暴力などはわかりやすい。
今も同じ構造があり加害者が罰せられずのうのうと権力振りかざしている状況を問うているのでは。
コーヒーをわざとこぼした人間が謝りもせず罰も受けずまたコーヒー持って近づいてきているのでは。
トラウマは、過去を引きずるのではなく、同じことが今も起こっているからこそではないか。
アドラーは、「現実」「未来」というものを重視しているように感じられます。
しかし、実際「現実」を無視している傾向がないだろうか。
もしくは、過去と現在をあまりに切り離しすぎでは。
私たちが体験しているものは全て過去。
なので過去とどのように向き合うかを捨てることは「生きない」ということではないでしょうか?
過去 ー 現在 というものをあまりにも別ものとしてとらえているように聞こえます。
また、感情を都合よく捏造している。
そうだったとして、
「負の感情」って何?
「正の感情」って何?
何をもって負であり何をもって正といってますか?
負の感情というものを認めたとして、だからなぜだめなの?
正の目的のために負の感情を用いることはだめ?
ここで、価値判断が問われるのでは? という疑問が出てきます。
アドラーの心理学がどこまでの内容があって、この本がそれをどこまで生かせているのか、検証が必要かもしれませんが、自己啓発本の典型といえると思います。
自己啓発本だから批判されるべき、とは思いませんが、自己啓発本の共通した構造があるように思えます。
社会制度、社会構造自体は一切問わない。
資本主義社会に対する批判的考察はない。政治にはつながらない。
まさに「自己」啓発ですね。
もっと読んでいきたいと思います。
(黄貴勲)