『金持ち父さん 貧乏父さん』 いろんな人が紹介しまくる名著を右前方斜め上から批判コーナー②
記念すべき第二回は
ビジネスにおいてまたまた普及の名作といわれる
『金持ち父さん、貧乏父さん』 ロバート・キヨサキ
前回の『チーズはどこに消えた?』に引き続き、
世界的に読まれまくっている一冊です。
読んだことある方も多いのではないでしょうか。
資本主義社会で成功するためのバイブルみたいですね。
二人の父さんを比較しながら、子どもがお金を稼ぐということを考えるもの。
経済的自由を手に入れるためにはどうすればよいのか?
「お金のために働くのではなく、お金を自分ための働かせる」
そのために、お金について学び自力でお金を作りだす必要があるというもの。
ビジネス書かつ自己啓発本の超有名作品ですね。
経営者、資本家であり、
お金を自分のために働かせる方法を教えてくれる金持ち父さん
と
高度な教育を受け教師であり、
「お金に興味はない」「危険は冒すな」という貧乏父さん。
もちろん、本書では前者の父さんの発想が大事であるという主張ですね。
挑戦する、試行錯誤する、そしてお金の流れ、お金の力を学ぶ。
面白いです。二人の父さんを並べて比較する。
なかなか批判の余地がなさそうです。
個人的には、『チーズはどこへ消えた?』のほうが好きですが
これを斜め上から歪んで批判すると
「幸福」に対する考察
「労働」に対する考察
「人間」に対する考察 の欠如かなと思います。
「働くこと」=「稼ぐこと」・経済的余裕・経済的自由
のような単線的な考えしか感じられない。
だからこそ、『チーズはどこへ消えた?』同様、この資本主義社会で称賛されるのでしょう。
でもそんな単純なことでしょうか。そんな単純なことでいいのでしょうか。
まさに教師という仕事がそうです。
医療や福祉事業もそうでしょう。
それだけでなく、サービス業、建設業なども、
それぞれ「社会を作る仕事」という観点が無いように感じます。
(本書において、少し言及はありますが。)
何か「社会」というものが人間の手から離れたものとしてあって、そのゲームの中でどのようにうまく要領よく立ち振る舞うのかというような。
お金の仕組みを作ったのもの人です。資本主義社会の構造を作ったのも人です。
それを改造できるのも人です。
社会的存在である人の主体性・創造性を無視したものになっていないでしょうか。
そこの可能性は考えない、もしくは意図的にシャットダウンしているように感じます。
だからこそ、この新自由主義時代にうける。
より自由に、「自由」の名のもとにより労働者の権利を無いものにしようとする動きに親和的なのではないでしょうか。
『チーズはどこへ消えた?』もまったく同様に。
「社会」というものをないものにしてしまい、見えなくしてしまい、「自己責任」「自助努力」を最前面に押し出す。
自己啓発本一般にいえることかもしれませんが。
「自分がしっかり一本立ちしてから、余裕があれば社会に貢献すればいい」みたいな考え方、身近ですね。
わからないではないですが、そもそも「働く」ということ、「生活する」ということ自体の社会性(社会貢献性)があまりにないがしろにされていないでしょうか。
それは、資本主義社会では、特に行き過ぎた資本主義社会では必然なのかもしれません。
本書、著者の意図がいかなるものかはわかりませんが、本書の読まれ方・とらえられ方としては、そのような傾向があるように思えます。
本紹介、批判というよりも雑感ですが。
と、こういった本を読むと、こういったことを考えます。
もちろん、頭ごなしに否定するだけでなく、学ぶところはたくさんあるので、真剣に読んでいますが。 (黄貴勲)
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