本紹介⑤『教養の再生のために』
アンニョンハシムニカ!
前回紹介した『反貧困』という本の中で、「溜め」という言葉が出てきます。
人が生きるために持っている/持つべき「糧」といったところでしょうか。
「溜め」にどのようなイメージをお持ちになるでしょうか。
現在の日本社会だと、「資格」とか「手に職」とかがイメージされるのでしょうか。
自分で稼ぐ力といったような。
その発想がかなり多くの人々を排除しているような気がします。
「自己責任」、「自立」、「自律」、そんなものばかり強調され。
そこから抜け落ちていく、すべり落ちていく、またはそもそもスタートラインに立てない/立つことが極めて難しい人たちの存在も。
「溜め」とは、何よりも「人のつながり」「協同」「連帯」かなと思います。
そして、そのための「良心」「教養」「知性」ではないでしょうか。
っということで、本紹介、第5弾です。
「知性」「理性」「人間性」「道徳性」といったものへの信頼が脅かされ、危機の時代といえる現在において、教養がどのような役割を果たすのか。言いかえればなぜ学ぶのかを問う。
大学での講演録が収録され、教養の意味を考えるうえで有益な一冊。
「勝ち組志向」・ 弱肉強食の世界観から実用的/専門的な学び(本書では「奴隷的な学び」と称される)の みが推奨され、お金になるかならないかでしか測れない社会に対して警鐘を鳴らす。人間が自らを解放させ自由になるため/そして想像力を鍛え他者の視点・他者への視点を獲得 するため/そうして人間が人間らしく生きていくために学びはあると著者たちはいう。
さらに、加藤周一、ノーマ・フィールド、徐京植の 3 者だけでなく、渡辺一夫やプリー モ・レ―ヴィなどの経験、第二次世界大戦期の日本、ナチスの強制収容所での人間の姿や 生き残る力となったものなど、それぞれの生きた時代、生き方、世界観、思想形成といった形で、具体的に教養がどのような役割を果たしたのかが語られる。
性能の良い車を作るのがテクノロジーの力とすると、車に乗って目的地を決めるのが教養の力である。
2005 年に出されたものであるが、安倍政権下の日本社会でこれでもかと知性が退廃した社会において、自分たちがあらためて「学び」をとりもどすために読まれるべき一冊。(黄貴勲)