和歌山在日朝鮮人社会研究の意義を考える ~和歌山での証言を聞いて

 和歌山の在日朝鮮人社会について考えただしたのは、奈良の朝鮮学校再建の運動に接し、奈良朝鮮幼稚班について、奈良の同胞社会について考えるようになったことからであった。

 奈良朝鮮初中級学校は2008年に休校になり、奈良県内にウリハッキョがなくなった。その結果、同胞たちが集まる場と機会が少なくなっていき、奈良県の同胞社会自体も活気を失っていったという話を色んな人から聞いた。

 対照的に、和歌山県は現在も和歌山朝鮮初中級学校が存在し、幼稚班から中級部まで体系的な民族教育が続いている。しかし、和歌山県は、奈良県よりも在日朝鮮人人口は少なく、近畿圏の中でも最も少ない県である。にもかかわらず、「学校を絶対になくしてはいけない」という気持ちと実践のもと、現在も学校が運営され、学校を中心に同胞コミュニティが存在する。

 

 現在、全国各地で在日朝鮮人の民族教育が困難を抱え、さらに近年の高校無償化制度からの除外、地方行政の補助金のカットなどを受け、どの学校も危機的な状況にある。和歌山でも同様であり、むしろもっと昔から危機的な状況にあった。

 

 そのような中で、もう一度、在日朝鮮人にとっての民族教育の意義とは何か? 同胞社会の存在意義とは何か? という問いを立て、自分たちの行動と選択、運動を実践していなかなければならない。

 

 和歌山の在日同胞社会も、学校が存続するからといって問題がないわけではない。人がいなくなり、同胞が集まる場がなくなり、地域社会が失われたという話もインタビューの中で多く出てきた。同胞が少なくなり、運営が難しくなる中で、学校を存続することを諦めようという声もあったという。中級部をなくす、土地の一部を売却するという話もあり、現在でも運営のためにどのようにすればよいのか、日々悩みながら、知恵と力を出し合いながら維持されている。

 話を聞けば聞くほど、和歌山の同胞コミュニティを守るためにハッキョを必ず守るという意志がどれほど強いかを感じ、学校を守るためにどれだけの力が集結されてきたのかということを痛感する。「学校があること自体が奇跡」と言われた言葉はまさにその通りである。

 

 しかし、そのような営み・歴史は和歌山に限らず、全国各地の同胞社会、朝鮮学校についてもいえる。そして、私たちには想像もできない激動の時代、波乱の人生を生きた一世・二世たちこそがそれを体現した人たちである。

 

 在日朝鮮人の歴史は、今を生きる私たちに、自分たちはどのように生きるのか、生きなければならないのかを問いかけてくる。「本当に命をささげて同胞社会と学校を守った先輩方がいた。若くして亡くなられたそうした先輩方がいたからこそ今がある。」という言葉が胸を打つ。

 

 一世・二世たちが残した同胞社会・朝鮮学校の未来は間違いなく次の世代にかかっている。自分たちがどのように考え、行動し、選択し、実践するか。そのためにも、まず消されそうになる歴史を残し、歴史に学ぶ作業が不可欠である。和歌山の在日朝鮮人社会の研究が、そのような小さな萌芽となることを目指して、そして何よりも微力ながら和歌山の同胞たちの財産となるように、これからもより広くより深く研究していきたいと思います。

(黄貴勲)

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