同胞社会・民族教育の意義 ~和歌山同胞大運動会に参加して~
10月1日(日)、和歌山朝鮮初中級学校の運動会に参加しました。
ここでは書ききれないほど、内容と雰囲気の素晴らしさに感動し、力をもらいました。
同時に、改めて、同胞コミュニティの意義や、民族教育の大切さ・強さを感じました。
日本の中で、同胞同士がつながり/集まり/協働することが、自分たちの人生にとっていかに重要であるか、子どもたちの教育にとってどれほど大切な影響を与えるか。
和歌山の同胞社会は、同胞数が少なく集住しているわけでもないにもかかわらず、同胞同士のつながりが強く、コミュニティの温かさをより強く感じます。
「和歌山の人は、和歌山が好きで和歌山にに残る」「同胞同士つながりの無い人がほとんどいない」「他の地方から来た人もすぐに溶け込めるような温かさがある」「昔から、他の地方から人を引っ張ってくるほど」という話も聞かせていただいたほど。
園児、学生たちも主役として、同胞たちと一体となって、ものすごく楽しく安心して伸び伸びと練習の成果を披露しているように感じました。
そして、その温かい環境の中育った子どもたちが、その素晴らしさをしっかりと認識し次世代として地元に戻ってくる。
まさに在日朝鮮人の民族教育の強さを体現している地域社会の形といえると思います。
しかしもちろん、その過程は簡単なものではなく、一世・二世の方々を中心とした、想像もできない、並大抵でない努力の賜物であったのでしょう。
「一世・二世の人たちが…」と、ただ決まりきった言葉で表現するだけでなく、それが本当にどういったものなのか? 自分たちがどうするか?
本当に心の底から真摯に受け止めなければならない問題だと思います。
来年、和歌山朝鮮初中級学校は創立60周年。
学校を本当に守っていけるのか。これからの未来をどのように作っていくのか。世代交代が進む中で、自分たちの理想の社会像・ビジョンをいかに示せるか。
留学同大阪では、和歌山同胞社会について研究を行い、来年度に向けて目に見える形で伝えていこうと思います。
(黄貴勲)
<無償化裁判>報告会 大阪福島朝鮮初級学校にて
2017年9月28日(木)、大阪福島朝鮮初級学校にて行われた、
福島学区<無償化裁判>報告会に、留学同の支部学習会の一環として参加しました。
その中から、講演会についてのまとめを載せます。
大阪産業大学、藤永先生の講演より
戦前、戦後の日本の国家権力が朝鮮人に対して加えてきた弾圧の歴史を学んでいたが、自分は、民族差別が何たるかをきちんと理解していなかった。
まず、判決がどのように不当なのかを理解する必要がある。
・広島判決「ヘイト判決」
広島地裁は、証人尋問を認めず、判決でも原告の請求をすべて却下、棄却。
規定13条適合性の判断が全面に
→ 「北朝鮮や朝鮮総聯」の「不当な支配」を受けた朝鮮学校に就学支援金を支給すれば、不正受給される可能性がある。 という理由。
なので、朝鮮高級学校不指定は文科大臣の「裁量の範囲」
← 根拠のない「疑い」によって、制度から除外した。
・全面勝訴の大阪判決
大阪朝鮮高級学校への不指定処分を取り消し、規定ハに基づく指定を命じる。
<<規定ハ削除(不指定の理由①)>>
下村文科大臣が、「教育の機会均等の確保とは無関係な外交的、政治的判断に基づいて」削除 → 裁量権を逸脱、濫用 → 違法、無効
<<規定13条の適合性(不指定の理由②)>>
就学支援金の支給は生徒等の「受給権」に基づく(=司法救済の要請は高い)
文科大臣による「不当な支配」の判断は、教育に対する行政権力の介入
→ 適合性の判断について、文科大臣の裁量権は認められない
支援金が不正に使われるという、「疑念を生じさせる特段の事情がない」
・結論ありきの東京判決
原告弁護団は、規定ハ削除が「政治的外交的判断」によることを綿密に論証
しかし、判決は「不当な支配」論に与し、文科大臣の判断を適法と認める
明確な根拠を示さないまま、規定ハ削除については「判断する必要がない」
裁判所が、権力の顔色を窺い、結論ありきの政治的理由で判決を書いた。
「朝鮮学校に渡せば授業料に充当されない」という、まさにヘイト判決。
→ 根拠もなく、「朝鮮学校にお金を渡せば他のところに流用する」と勝手に決めつけた。(不当な支配を受けている「疑い」があるという理由のみで。)
「朝鮮人は信用ならない」という考え、「朝鮮人は潜在的犯罪者である」という思想につながる植民地主義丸出しのヘイト判決。
広島判決に続き、裁判所が、朝鮮学校・朝鮮人に対して、ヘイトスピーチを繰り広げた。
※そもそも「不当な支配」規定とは?
【教育基本法 第16条 (教育行政)】
教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであり、教育行政は、国と地方公共団体との適切な役割分担及び相互の協力の下、公正かつ適正に行われなければならない。〔後略〕
この規定は、戦前の軍国主義教育に対する反省から生まれたもの。
日本の国家権力による支配を受けないようにということが想定されている。そもそも高校無償化制度の趣旨からして判断材料となるはずのない規定。
この規定を用いて不指定処分の根拠とすること自体が、不当な支配であり、行政の不当な介入というべきである。
終わりに
補助金裁判控訴審への闘い。権力がなりふりかまわず作り上げた、でたらめな判決をくつがえす闘い。これから無償化判決にもさらに攻撃を加えてくる状況で。
歴史に誇れる裁判闘争を繰り広げなければならない。
このような恥ずべき判決に屈してはならない。
この裁判闘争は、後世に残り、歴史となる。自分たちこそ恥じのない闘いを。
以上、講演まとめ(文責:黄貴勲)
報告会に参加して、改めて、まず、自分たちが学ばなければならないと感じました。
裁判の内容についてはもちろん、ひいては在日朝鮮人の民族教育の意義について。
そして、自分たちが何をしなければならないのか。どこに立たなければならないのか。
自分たちの思想と行動が問われていると思います。
朝鮮学校の問題・私たちの民族教育の問題は、在日朝鮮人の存在・尊厳の問題であり、自分たちの社会と未来を創れるか、どのようにするのかという問題だと思います。
(黄貴勲)
「朝鮮学校差別反対!全国大学生行動」スタート集会③ 李春熙弁護士の発言より
前々日、前日に続いて。
「朝鮮学校差別反対!全国大学生行動」スタート集会について。
パネルディスカッションのもう一方、弁護士の李春熙さんの発言より。
「在日朝鮮人運動の中の裁判闘争」というテーマで、朝鮮学校高校無償化裁判の判決内容を中心に、法律家としての話、そして在日朝鮮人運動の中での裁判闘争について話していただきました。
その内容として、特に9月13日に出された東京地裁での判決について。
判決は論理性の欠いた不当判決・論理破たん判決であったということが述べられました。
元々の政府見解では、明確に「外交上の配慮により判断すべきものではない」と言っていたにもかかわらず、下村博文文科大臣が政治的外交的配慮により朝鮮学校を対象から外すという方針を持っており、それに基づいて結果ありきで省令を改正したということが、裁判の審議中、政府の内部文書からもわかった。
つまり、外交的政治的理由で狙い撃ちであからさまに朝鮮学校を排除したことが裁判の中で明らかになった。
にもかかわらず、裁判所は、国家を救済することに苦心した。
「不合理とは言えない」「(不当な支配を受けている)疑いがある」としながら、「政治的外交的理由から不指定処分をしたものとは認められない」とまで言った。
裁判所は、論理が破たんしていることを知っていながら国を救った。東京地裁の田中裁判長は判断をせず、ひたすら自己保身に逃げた判決を出した。
さらには、結審直前の裁判長の交代という不可解な出来事があった。
審議の過程を何も知らない田中裁判長が送られ、機械のように国の意向を忖度し、国家権力の奴隷としての判決を出した。裁判所は極めて政治的な場であり、自らの出世のために国を勝たせることもいくらでもあり、想像力のない裁判官だけが残っていくという仕組みも含めて。
そのように、東京地裁の判決がいかに論理のなく、裁判所の使命を放棄した、めちゃくちゃなものであったかということをわかりやすくお話いただきました。
さらに、裁判は、事実を記録し歴史に残していくことが重要であり、敵の腹の中と卑劣さも明らかにすることも重要であると。
最後に、
「1948年4・24の時のように、我々は再び県庁・府庁を包囲することができるのか?」という問いかけが印象的でした。
裁判が注目されていてはいけない。その前に政治や市民の力で、運動の力で解決されなければならないと改めて感じました。
(黄貴勲)
「朝鮮学校差別反対!全国大学生行動」スタート集会② 金有燮先生の発言より
前回の続き、9月24日に行われた
「朝鮮学校差別反対!全国大学生行動」スタート集会にて
シンポジウム『朝鮮学校差別とは何か?~その本質を問う』
証言映像についで、シンポジウムが行われました。
まず、千葉朝鮮初中級学校の校長であられる金有燮先生から
千葉朝鮮初中級学校の現状から、自分たちのこれからの運動の課題を力強くお話いただきました。
特に対外活動から、千葉市長が初めは一見進歩的な姿勢を示しながら、国家の顔色を見て補助金を打ち切ったこと。その権力の意向に沿って外国人学校地域交流を共に行ってきた地域の学校からも交流事業を拒絶されたこと。
千葉市は、国家間の問題と教育の問題を関連付けることで、国際交流を無くし、子どもの表現の自由を攻撃するという卑劣な手法を用いた。
その状況に対して、同胞や日本人の支援者による支援があり、そうした輪をもっと広げていかなければいけないということを話されました。
その中で、多く同胞、日本人、南北同胞たちが抗議の意思を表示し、緊急集会・南北朝鮮の新聞への掲載・街頭宣伝活動・様々な方からの学校への寄付・各地より学校への応援メッセージと千葉市への抗議文の送付など、連帯の運動が具体的に拡がっていった経験について、信念と「情」のつながりによって運動が必ず切り開かれていくというお話をいただきました。
そして最後に、
「当たり前の権利は必ず勝ち取らなければならないが、朝鮮学校の基本は自主自立。」「そうして1世2世は自分たちの力で朝鮮学校を建て守ってきた。」「補助金などに頼らなくても朝鮮学校は運営できなければならない!」という、あらゆる差別・弾圧の中を生きてきた在日朝鮮人としての姿勢を表明されたことが非常に印象的でした。
「教員が『苦しい』と放棄してしまえば、明日にでも学校を閉めなくてはいけなくなる。」という、本当に厳しい財政状況の中、朝鮮学校教員の方々の強い信念で学校が維持されていることが伝わりました。
「このまま私たちが死ねば、この世の中で正義と真理はどうなるのか?」
という言葉が胸にささりました。
(黄貴勲)
「朝鮮学校差別反対!全国大学生行動」スタート集会①
2017年9月24日、東京にて、
「朝鮮学校差別反対!全国大学生行動」スタート集会が行われました。
朝鮮学校高校無償化裁判の広島と東京での不当判決を受け、これまで行ってきた運動をより一層強く繰り広げようと、「日本の大学に在籍する在日朝鮮人学生連絡会」の主催のもと行われた集会。
4・24教育闘争当時の経験についての証言映像、
シンポジウム『朝鮮学校差別とは何か?~その本質を問う』、
そして、行動についての提起と各地の学生からの報告がありました。
4・24教育闘争の証言では、当時その現場にいて、日本の権力の銃弾に倒れた金太一少年の姿を間近で見た方のお話でした。
解放後の在日朝鮮人にとって朝鮮学校がどのような存在であったか、日本とGHQが朝鮮学校に対してどのような弾圧を行ったか、さらに1948年4月24日と26日の3万人が大阪府庁前に集まった闘争の様子についての話。
金太一少年が銃弾に倒れたのを間近で見た時の話、どのように打たれ、どのように倒れたかという話聞くのが本当につらいものでした。日本の警察が放水と銃弾で朝鮮人を攻撃し惨殺した様子。
ただし、それは単なる悲劇の歴史ではなく、金太一少年が、在日朝鮮人が、朝鮮学校を守るために命懸けで闘った誇るべき歴史であるということを感じました。
最後に、在日朝鮮人の民族教育の正当性について強く語られ、そして、その歴史を次の世代が引き継いでほしいという想いを話されました。
現在でも各地で闘争が繰り広げられ、大阪でも毎週火曜日に大阪府庁前で朝鮮学校に対する補助金の再開と高校無償化適用を求める「火曜行動」を毎週行っています。
しかし、1948年に3万人が府庁前に集まった闘争の精神を引き継げているのだろうか。
現在朝鮮学校が潰されようとしている状況の中で、同じような気持ちで立ち上がり、声をあげられているだろうか。
色んな口実をつけて自分たちの問題であるにもかかわらず逃げていないだろうか。
改めて、自分の思想、生き方、生活、実践、運動について猛省させられる証言でした。
(黄貴勲)