留学同大阪ブログ

在日朝鮮人大学生・専門学校生の団体です。在日コリアン学生、歴史、文化、教養

9月の学習会② 世界史を見る

学習の9月、第二弾テーマは、「世界史」。

 

筆者が高校時代に習った世界史といえば(2年間わりと真剣に学びました。)、

今から考えれば、大国中心、欧米中心で、ひたすら暗記の求められるだけのものでした。

 

アフリカの歴史、中南米の歴史、また朝鮮の歴史などはほとんど印象になく、

「試験に出ない」という理由でほとんど飛ばされていたと思います(そもそも教科書の記述も極めて少ない)。

特に、アフリカ・中南米の歴史と言えば、「スペインが支配した」とか、「イギリスが支配した」とか、「フランスが支配した」とか、「アメリカの裏庭」とか、欧米中心に説明されていました。

まるで、固有の歴史や文化を持たないかのように。

アフリカに関しては、「暗黒大陸」とか「暗黒時代」なんて表現も覚えた記憶があります。そんな表現ができてしまう腐った感性で教育がなされている現状。

 

今から考えると、本当にくだらない歴史の授業でした。

ただただ点数を取るためにひたすらヨーロッパの歴史を覚えていた時間を、朝鮮や他のアジア・アフリカ・中南米の植民地解放闘争の歴史を学ぶことに回したかった。

そこには、歴史を学ばない、歴史から学ばせない権力の意図があることでしょう。

歴史というもの自体が、ドンドンと俗化・無用化されているように思えます。

 

もっと見るべき歴史があるということに気付いたのは、留学同活動の中で、いきいきとした朝鮮史を学んでからでした。

 

留学同大阪では、そのようなくだらない支配の歴史ではなく、奴隷制帝国主義・植民地支配に対して、民衆がどのように対したのか、そして抵抗したのかという点に注目し、いきいきとした民衆の歴史を学べるような場を作りたいと思います。

 

「戦後日本の教育の枠組みの中で自己形成してきた私が、高校までに教わった朝鮮史の知識は、まったく乏しいものだった。…中略… 断片的なくせに、弱弱しく、ものがなしく、独自の個性や学ぶ価値のある文化をもたず、たえず強国に突き動かされており、同乗の対象とはなりえても、敬愛の対象とはなりにくいようなものだった。 

…中略… そこに、過去も現在も、朝鮮史の真の姿が国民に見えることを不都合とする日本の支配権力の意図が働いており、そのような意図から作られた歴史観が国民によって自覚的・無自覚的に再生産されてきた結果であると、気づかされてきた。 

…中略… はっきりといえることだが、朝鮮史はそのようなものとはちがう。朝鮮民族には、中国とも日本とも異なる独自の文化伝統があり、しばしば容易ならぬ外圧にふれながらも貫かれてきた力強い社会発展史がある。そして、その発展を基底で支えてきたのは、単なる英雄的指導者の力ではなく、ユニークな個性と活気に充ちた人間性をもって日々を生き続けてきた朝鮮民衆総体である。」

梶村秀樹朝鮮史講談社現代新書 より)

(黄貴勲)

9月の学習会① 思想・哲学について

9月初旬、思想・哲学について学習しました。

唯物論と観念論、弁証法形而上学、資本主義、帝国主義社会主義……

 

難しく難しい言葉が並び、理解するのに一苦労でしたが、逆に普段いかにそういった勉強をしていないかを痛感しました。

 

「安定した生活をするためには何の勉強をすればよいか?」「どの資格をとればよいか?」「どの業界が良いか?」…

そのように「お金になる」とか、「就職に有利」とか、もしくはひたすら「わかりやすさ」だけを押し出した勉強に流されがちな中。

 

思想・哲学を学ぶ意義はどこになるのか?

講師の先生がおっしゃっていた言葉が印象に残っています。

 

「元来、思想というのは抽象的な理論を機械的に覚えこむことによって形成されるものではなく、理論が現実と結びつく局面においてつくりだされる実践的思考の体系だと思う。それは、もちろん、断片的な心情や慣習的な生活意識とも違って。」

 

実践的思考の体系。自らの現実認識と行動の軸とすべきものであると思います。

 

日常に流され、主体性を失い、社会によって作られ、強大な権力の言いなりの奴隷となる。 「忙しいから仕方がない」とか、「現実は厳しい」とか、さらには「気の持ちようだ」とか、「それでも幸せだ」とか、目標も信念もなく消費するだけの生活。

それが今の日本社会の流れだとひしひしと感じています。

 

本来、学ぶことは、いきいきとした思想を形成し、人間らしく、自由かつ創造的に生きるために必要なものではないでしょうか。

改めて、日々「学習」しなければならないと感じました。

(黄貴勲)

【ウリ民族フォーラム2016 IN OSAKA】

明後日、9月11日(日)に

大阪朝鮮高級学校にて、

【ウリ民族フォーラム2016 IN OSAKA】

 

「1万人の大祝典」という大きな目標をかかげて、準備してきました。

第一部 フォーラム(10:00開演)

第二部 大祝典(総合文化公演、特別ステージ、大野遊会)

という内容はもちろんですが、同胞がこれだけ多く集まる場の大切さを今一度確認していただければと思います。

 

朝鮮学校や同胞コミュニティに近い所で育った人にとっては、それほど特別に感じないかもしれませんが、そうした場を経験したことのない人にとっては、これだけの同胞が集まっている姿を見るだけで驚愕し感動するはずです。

 

自分の家族と親族以外の同胞が存在するということも知らなかったという同胞が、留学同で出会った同胞学生の中にも多くいます。

朝鮮学校の存在をほとんど知らなかったという学生もいます。

 

行事を宣伝していると、「またそんなんするんか」「何の意味があるんや」という声がありました。

しかし、こんな場は、全ての朝鮮人が自分の存在を否定せず確認するために、朝鮮人として生きていく力を得るために絶対に必要なのです。

朝鮮人であることで、孤独感と無力感を感じて生きてきた同胞が、こんなに同胞がいるのかということを直接自分の目で確認するだけで、どれほど力を得ることでしょうか。

 

もちろん、集まって何もせず終わってはいけないですが、まず何よりも人が集まることから始まると思います。参加するだけでも、参加することにまず第一の意味があります。

 

守勢から攻勢へという意味の「ターンオーバー」というキーワードで、在日朝鮮人運動に対する提言をされる第一部フォーラムから、総合文化公演、特別ステージ、食いだおれ食堂、キッズパーク、キャラクターショー、福祉・休憩コーナーなど、

誰が来ても学べる、楽しめる場になっていると思います。

是非とも、日曜日は、大阪朝高にてお会いしましょう。

(黄貴勲)

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和歌山朝鮮初中級学校 納涼大会

地元、北大阪に続いては、

7月30日(土)、

和歌山朝鮮初中級学校の納涼大会に行ってきました。

 

和歌山観光も兼ねて、昼には美味しい海の幸を食べ、

夜はハッキョグルメを堪能しました。

 

校門に立った瞬間に感じた、アットホームで温かい雰囲気。

これぞウリハッキョという空気に泣きそうになりました。

「화목한 동포사회」(仲むつまじい同胞社会)とはまさにこのことでしょう。

同胞数の少なく広範囲に離れて住む地域でハッキョを中心にこれだけのコミュニティがあることは凄まじいことだと思います。

 

小さな子どもたちの姿が特に印象的で、その子がどこの誰の子か、みんなが知っていて、大事に見守り、子どもたちも安心してノビノビと過ごしているように感じ、学校を中心にしたコミュニティの強さを感じました。

また、朝高生や朝大生がほんとに主体的に手伝い、役割を果たす姿も印象的でした。

(どこのハッキョでもそうですが、特にそれがめちゃくちゃ強いと感じました。)

温かい空間で育った子どもが、大きくなって自分の学校や地域コミュニティのためにイキイキと働く。

それこそ、教育の力といえるのではないでしょうか。

 

みんなが親戚のように知り合いの空間で、大阪から参加した一同は、

「誰だあれは?」という視線も少し感じながら、美味しく飲み食いさせていただき、

 

なんと、北大阪に続き、またまた抽選にて特賞の商品券を当ててしまいました!

(空気清浄機は留学同大阪事務所にて大事に使わせていただいておりますが、商品券は和歌山ハッキョのために使わせていただこうと思います。)

 

これからも和歌山朝鮮初中級学校に足を運び、ハッキョのためになることも重ね、
留学同大阪にとって、和歌山ハッキョもホームになるように、活動していきたく思います。

(留学同大阪の管轄範囲は、大阪・奈良・和歌山です)

(黄貴勲)

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北大阪朝鮮初中級学校 サマーフェスタ

少し前ですが、7月17日(日)、

大阪朝鮮初中級学校にて、

「北大阪サマーフェスタ2016」があり、留学同大阪としても参加してきました。

とはいっても、飲んで食べて楽しみに楽しませていただいただけですが。。

さらにさらに、留学同の学生が抽選の特賞を当て、その空気清浄機が留学同大阪の事務所の空気をきれいにしてくれていて、良いことばかりで。

 

留学同大阪は大阪市北区という、北大阪地域に事務所があるため、

ここ数年は北大阪ハッキョの行事に積極的に参加させていただいています。

 

何度参加しても、ウリハッキョを中心としたコミュニティの素晴らしさを確認する契機になります。

会場の準備、舞台、片付けから、学父母の方々の屋台で働く姿、惜しみのない賛助。

文字通り老若男女の地域の同胞たちが集まり、あれこれと語りあい、つながりあう場。

色々と文句が出たり、その場で言い合いになったりもあるでしょうが、それらも含めて、日本の学校、日本社会には無い、貴重な空間が存在すると思います。

なかなか言葉で表現することは難しいですが、あの場には、人間が人間であるための本当に重要な要素がつまってると思います。

 

しかし、それは当たり前に在るものではなく、同胞たちが創り、発展させ、今も支えているものであるということを肝に銘じなければと常々思います。

自分たちがその気を無くせばすぐにでも消えてなくなってしまうものであると。

日本の権力が今すぐにでもぶっ潰そうと策動している状況にあるということを。

 

ハッキョに足を踏み入れるたび、毎度感動するとともに、そんな緊張感を覚えます。

(黄貴勲)

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